ハタチの読書録

20歳大学生の日々の読書を綴る

「読書という荒野」見城徹

なぜ、あなたは「読書」をするのだろうか?

と目的を問われると非常に困惑する。

 

なぜなら読書は、

私の血であり肉であり、人生と切り離すことの出来ない産物であるからだ。

 

それにしても、幻冬舎社長の見城徹の読書観には驚いた。

文字を追って追って漸く「読了」した!と妙な悦に入る私なぞ足元にも及ばない。

 

彼は所謂、「普通の人生」を嫌う。

彼の好むは「極端な人生」だ。

 

我々人類は、

生まれた瞬間「死」への一方通行を余儀なくされる。死に比べたら、途中の辛苦など「かすり傷」に過ぎない。

 

ならば、リスクを取らない安穏とした人生を送るより、危険に満ちた通過地点を通ろうではないか。そして、最後に微笑して「いい人生だった」と言える以上の幸福はないだろう。

 

彼はかねがね

「自己検証」「自己嫌悪」「自己否定」

の3つがなければ、人間は進歩しない。

と言っている。

 

そして進歩の先に待っているのは、

「自己肯定」だ。

それは自らの承認以外の何者でもない。

 

況や、人は死ぬその瞬間まで自分を認めてはいけないのかもしれない。

なぜなら、

認めた瞬間に進歩は止まってしまうためだ。

 

そういった観念は、

想像を絶するような光景に、目を見開くような「原体験」を経て得られるもの。

 

しかし、当たり前のことだが、一人の人生にはリミットが定められており、限られた時間に幾つもの原体験をすることは不可能だ。

 

そのための「読書」である。

 

彼は、

幼少期の不遇な時代も、

角川書店を退社して自らで幻冬舎文庫を立ちあげる挑戦の時代も

読書という名の血で血を洗う高野を突き進んできたのだ。

 

読書によって

他者への想像力や生きるための教養を磨き、まずは「認識者」になる。つまり、世の中の事象と原理を理解する。

その上で、覚悟を決めて「実践者」になる。

一旦、実践者になれば暗闇の中でジャンプし、圧倒的努力を以て、目の前の原理を生きるのみだ。

 

生きていくということは、

矛盾や葛藤を抱えて、それをどうにかしてねじ伏せるということだ。

 

そんな時に、

読書は常にあなたの最強の武器になるだろう。

 

我々は、

何気ない言葉で人を傷つけることができるし、

人を癒すこともできる。

 

それくらい「言葉の力」は計り知れないものなのだ。

 

さぁ、今こそ読書を経て、

血で血を洗う荒野へと自分の背中を押してくれる「言葉」に出会おう。