ハタチの読書録

20歳大学生の日々の読書を綴る

「戦国武将の素顔」本郷和人

   私達日本人がぱっと思い浮かぶ戦国武将といえば織田信長豊臣秀吉徳川家康という日本史の教科書の主人公とも言える3人ではないだろうか。しかし、私達は彼らの成してきた偉業ばかりに目が行き、彼らの本当の素顔を知らないように思う。そこで本書では、たくさんの武将の素顔を数々の文献を元に読み解いている。

    例えば、織田信長は恐怖の大魔王と言われ、野蛮な能力査定、世襲よりも実力主義、使える人材だけ生かし、使えない人材は斬り捨てる。人を殺して初めて一人前、が信長の評価基準であるそう。

   豊臣秀吉も実は信長以上のブラック上司であり天性の人たらしは計算されたもの。太閤検地に逆らった人物は皆殺しにした。育ちが悪い、教養がない人物のようだ。

    徳川家康は、妻のない天下人だ。ケチで良く言えば質実剛健。華がない。ストレスに強く長生きした。我慢強い。熟女好き。国を閉ざして内需拡大に舵を切った。

これらのデータはごく一部ではあるが、歴史を学ぶとは人を学ぶことだ。覇道を歩んだ人物にはそれ相応のパーソナリティがある。そんな戦国武将からは、経営の業務に携わる人には必須な集団を掌握する才覚など学ぶことは多いのではないだろうか。

「地方消滅」増田寛也

     この本は、地方創生を夢見る人達の必読書だ。夢を語るには、それ相応の現実を踏まえることが大切だ。岩手県の知事を務めたこともあり、地方での実地経験に長けた著者は、このレポートで、地方の人口高齢地域は勿論、いずれ地方の中核都市でさえ消滅の危機にあると様々な指標とデータにより示唆している。私も東北生まれの生粋の地方人だが、18歳になり大学進学を本格的に熟慮し始める頃、周りの学生を見ても当たり前のように「東京の大学」に進学すると異口同音に言っていたのを思い出す。東京は地方から若い人口を吸い出すブラックホールだ。東京に魅力を感じ、東京に進学して、東京で就職して、東京に永住して、東京で老後を迎えたいという人々がどれだけの規模いるか計り知れない。このような傾向が進めば、地方は死滅し、東京近辺だけが栄える「極点社会」を迎えるのは時間の問題だ。よく若者は「地方には魅力がない!その点東京は便利だし、働き口が多いし…」という主張をし、地方を非難し、東京を賛美する印象があるが、私もそうであったし間違いないだろう。「もっと地方に〜があれば」と非難するのは簡単だが、それを実行せずに無責任に傍観しているのは、私も一人の故郷を憂える若者として、心外である。地方創生に貢献する!とは言わないが、何かしらの還元の仕方はあるだろう。

    最大の問題点は、これから日本全体が高齢化と出生率の減少と労働力人口の減少という3つの悲劇が待ち構えている。これはセットで考えるべきでない。それぞれに必要な措置を講じなければならないのだ。著者は本書で何度も地方は「ダム機能」を果たすべきということを繰り返している。つまり地方で何とか若者をせき止める機能、例えば地方中核都市を拠点に大学を誘致する、巨大アミューズメント施設を作るなど手段は色々考えられるだろう。まずはそこからだ。地方の消滅を先延ばし

するのではなく、私達世代がその基盤を完成させるのだ。さもなくば2040年には惨憺たる社会が待ち受けているだろう。

「リベラルという病」山口真由

 日本人で「リベラル」という言葉の明確な定義 を知っている人は数少ないように感じる。斯く言う私も本書を読むまで、リベラルの歴史を軽んじているがために浅い知識で保守派vsリベラルの構図を俯瞰していたように思う。私が思っている以上にこの歴史は深淵なもののようだ。初めてフランクリン・ルーズヴェルト民主党代表として大統領に就任してから、アメリカのリベラル信仰は国民に浸透した。リベラルとは性別的・精神的・身体的・人種的などあらゆる点でマイノリティーな人々の権利を守るための信条である。アメリカでは保守派の共和党、リベラル派の民主党で票が真っ二つに割れるのが至極当然だ。自分は保守でも隣の家族や、友達はリベラルかもしれない。だから、安易に対立の溝を深めないようにお互い譲歩すべきところは譲歩して、引き下がれないところでは過激に叫ぶ。これは米国の国民思想として当たり前でそのくらい個人の意志がイデオロギーとして政治に反映されるのだ。特に近年は過激なリベラル派の声が大きくなり、グローバル規模でリベラル信仰の暴走が歯止めが利かない状況になりつつあるのではないか?

 去年の年末日本では、年越しのの恒例人気番組「ガキの使いやあらへんで 笑ってはいけない24時」にて、ダウンタウン浜田がエディ・マーフィのコスプレで黒塗りをしたことにより、BBCニューヨーク・タイムズで取り上げられるほど非難の声が番組に寄せられた。私達日本人からすれば、たかが黒塗りで差別とか、日本ではそんなこと知ったことじゃない!などと思うかもしれないが、やはりこれは差別だ。確かに、日本にはアメリカのようなブラック・ショーやミンストレル・ショーはなかったので黒人差別の意識が強く根付いてはいないが、これは人類が共有すべき意識の課題だ。差別とは、見てる人が差別だと感じる人がいたら、差別だ。私達がどう感じるかそういう問題じゃない。反論としては、そういう差別だ!という見方をする人こそが黒人差別を助長しているのではないか?という主張だろう。やはり、これも間違いないが、現代の日本人にはポリティカル・コレクトネスが根付いていなさすぎる。これからオリンピックを迎え、世界を主導する1ヶ国としてメディアだけでなく私達一人一人がリベラルの思想を推し量った行動をとるべきではないか?しかし行き過ぎた自由思想が蔓延すれば、それこそ私達国民は、あれも差別だ!これも差別だ!という「リベラルの病」を患ってしまう。

「中学生棋士」谷川浩司

今年、プロ入り後すぐさま29連勝という大記録を成し遂げ将棋界を大いに賑わせた藤井四段、さらに今年77歳で将棋界を引退した加藤一二三九段、そして竜王戦で渡辺竜王に勝利し、見事竜王位獲得、これによって永世7冠という未来永劫歴史に語り継がれるであろう大偉業を成し遂げた羽生善治。彼らに共通するのは全員が「中学生棋士」であったことだ。即ち、誰よりも早く己の才に気付き、努力を惜しまず鍛錬してきた天才たちだ。天才の定義はなんだろう。著者の谷川九段も同じく中学生棋士だが、彼らに共通するのは、与えられた環境で途方もない努力をしてきたことだろう。努力の天才なんて当たり前のこと。親がしてあげるのは、子のために最高の環境を作り上げることだ。

 

「カエルの楽園」百田尚樹

この本は、未来の日本への警鐘を鳴らす1冊だ。作中に登場するツチガエル達が平和に暮らす街ナパージュ(NAPAJ)とは日本(Japan)を指しているようだ。もしも日本が武力を放棄し、戦力を完全に持たない非武装中立の思想を走らせてしまえば、日本の領土は中国にすぐさま占領されてしまうだろう。そうならないためには現行の憲法9条を改正しなければ、カエルの楽園に登場する「三戒」同様に、戦力の位置づけを明確に定めないがために法が足枷となる事態となってしまうのだ。この点で、作者の百田尚樹氏は当たり前の平和に懐疑的なメスを入れて、私達国民に改憲の意義を暗に示しているのだ。