【デジタルネイチャー】落合陽一
機会と自然が渾然一体に融合する.
これはつまり,充分に発達した計算機群は,自然と全く見分けがつかないということだ.
この状態を落合陽一は,「デジタルネイチャー」と名付けた.それは彼のマニフェストであり,未来像とも言える.
デジタルネイチャーの世界観では,人間と機会,物質(material)と実質(virtual)の4象限で表される.ウィーナーのサイバネティックスの現代版とも換言できる.近い将来,この4象限に境目は無くなり,自由に越境できる空間が完成する.つまり,AI型人間,人間型AI、身体性のあるコンピュータ,精神性のあるAIなどだ.
近年は,GAFAと呼ばれる巨大プラットフォーム企業が私達を囲い込むように,搾取している.これらのプラットフォーム構築側と搾取される市民と溝はますます深まるだろう.
そのような状況に対抗しうる手段が,オープンソースという概念だ.オープンソースとは,非中央集権型の分散モデルであり,サイバー空間上にコードを公開することで,誰もが同一のコードを共用できるようになる.
このプラットフォームVSオープンソースの二重構造の社会では,既存の民主主義をアップデートした,全体最適化された全体主義を実装していく必要がある.
落合陽一は、思考の立脚点としてのアートとテクノロジーの横断を主張する.終着点は、生命と機械、物質と実質の境界を越えた世界だ.
「10年後の仕事図鑑」落合陽一&堀江貴文
今年の話題書NO.1ではないだろうか。
我々が生きる時代から10年後の世界。
果たして、人々はどんな仕事をしているのか?そもそも人間に仕事などあるのだろうか?
世間では、こういったAIに対する悲観論が根強く騒がれている。2045年には、シンギュラリティを迎え、AIが完全に人間の能力を超え、まさに人智を超越した能力で、人間の労働を奪うのではないか、と思われている。
しかし、こう言った脅威は恐るるに足らない。寧ろ、AI程度に代替されるような人間はそもそもの市場価値が低すぎるのではないか?
これからの時代は、無理に働く必要も無いし、その分はAIに補完してもらえばいい。遊びたい人間は遊べばいい。それでは生活に困窮してしまうって?大丈夫。ベーシック・インカムがある。政府がベーシック・インカムを導入することで毎月一定額の支給が受けることが出来る。
一方でしっかり働く意識のあるエリートには、高度なテクノロジーを活用して労働をしてもらえばよい。それで国は衰退するどころか伸びていくはずだ。
さて、そんな労働二極化時代を迎える上で、AIを好意的に捉え、古い慣習に拘泥しない人間こそがクリエイティブてオリジナリティ溢れるイノベーションを起こすことができる。
オープンソースされた世界観では、アイデアに価値などない。そのアイデアを所有するだけでは無意味で、「共用」もしくは「利用」していく必要がある。
これまで画一的なオペレーション業務を行っていた、いわゆるホワイトカラーおじさんは真っ先にAIに代替されるだろう。
一方で、横断的に2足も3足もわらじを履いて、全速力で走りながら常に思考できる人間は、これからの時代より価値を高騰させる。
あなたも今日から「複数の肩書き」をもって市場価値が高い人材にシフトしていこう。
そんな多動力をこなす拡散思考人間にとって現代はあちこちにチャンスが落ちている「魔法の世紀」ではないだろうか。
「死ぬこと以外かすり傷」箕輪厚介
最近、ずっと書店に箕輪厚介という謎の男がでかでかと張り出されている。私の苦手な意識だけ高い自己啓発の書かな。と思ったがどっこい。これ生きる為の技術本なんだね…。
「死ぬこと以外かすり傷」はスーパー編集者ミノワマン自身が執筆・編集・プロモーションまで一挙にやりきった渾身の1冊だ。
雁字搦めのクローズドな編集業界に新たな風を吹かせた点で彼の功績は大きい。普通の編集者は、書店の棚に自分の本が並んだら、あとはもう「売れろ!」と神頼みする他ない。しかし、箕輪の場合、自分の本が売れるために自ら宣伝活動に力を入れる。彼自身がインフルエンサーになったため編集者としてはスターを手にしたマリオの無敵状態のようなもの。誠にイージーゲーム!!
ただ、そうなるまでは圧倒的努力を要したようだ。編集にかける量もスピードもほかとは段違い、熱狂が乗じて相手の性格、言動を憑依レベルで分析してきた結果にすぎないのよ。
彼は良い意味で、熱量の高いバカなテンションのビジネスマンだ。なぜなら、彼は「風呂敷広げ人」という最強の役割を果たしている。彼のようなバカが「これ面白そう!やってみよう!」と風呂敷を広げるだけで、周りの人を巻き込んだビジネスができる。彼のオンラインサロンは宛らキャンプ。釣りがうまい人、料理がうまい人、テント設計がうまい人、多様な人材の組み合わせで如何様にも対応できるのが強みだ。風呂敷広げ人は数字や論理による裏付けを考える必要などない。アーティストは自らの直観で楽しいビジョンを描けば良い。数字や論理などの左脳的な実践はサイエンティストである「風呂敷畳み人」に一任すれば良い。
まとめよう。
やりたいことを全速力でやれ。とにかく数多くこなせ。量は質に転化する。批判を恐れるな。暗闇の中で必死にジャンプしろ。それが誰かの目に止まればそこから膨大なチャンスが生まれる。「出る杭は打たれる」のが世の必定。しかし「出すぎた杭は打たれない」イーロン・マスクもスティーブ・ジョブズもその境界線を超えたエリートである。出ることを恐れるな。リスクを恐れて現状維持に留まることを恐れよう。
最後に、
「リスクなんてない。全ての成功も失敗も、人生を彩るイベントだ。未来は明るい。バカになって飛べ!」 by 箕輪厚介
余談だけど
私も見城徹や箕輪厚介の本を読んで編集者として大好きな本を最初から最後までプロデュースしてみたい!そんな心が芽生え始めてきた。バカになって飛んでみようかな。。
「日本再興戦略」落合陽一
落合陽一氏がなぜ今、日本再興戦略を語るのか?
なぜなら、我々の世代の次の一手で、日本のこの長期的な停滞は終わり、戦況は好転する。そう確信するためだ。
彼が掲げるビジョンは大きく2つ。
そもそも日本人はBOTやAIと親和性の高い国民性だと言える。
なぜなら、西洋は一神教であり、絶対的な能力と支配力を持つであろうAIの存在を受け入れ難いためだ。
対して日本は、そういった技術になんの抵抗もないはずだ。技術の下支えに人がいることを忘れない日本人は、どんな時代であっても人ベースでものを考えることができる。
もう1つは「民主主義のアップデート」だ。
そもそも日本は、現在の中央集権的国家は向いていない。それよりか地方分権に目を向ける時代だ。江戸時代の藩閥制のように一地方が一つの国のように機能すれば、権力の分散化を図れる。さらには意思決定のスピードも段違いに上がるだろう。具体的な試作を打ちたてる際には、ICOをして、トークン化することで、多くの人に応援してもらえば良いだろう。
日本に今必要なのは、革命でも革新でもなくアッブデートだ。古きを知って新しきを知る。その中で、無駄な物は捨て、必要な物だけ採り入れた戦略を打ち出していこう。
「人生の勝算」前田裕二
この本は、今最も注目される20代起業家、
前田裕二の初の著書だ。
前田裕二は20代半ばにして「showroom」という会社を起業し、
ライブストリーミングサービスを開発・展開を続けていくことで日本に普及させた。
彼はホリエモン以来の天才と謳われ、順風満帆なサクセスストーリーを現在進行形で紡いでいるように思える。
しかし、
彼を育んだ環境は決して恵まれていたものではなかった。
父は前田とは正反対の放蕩者で酒・女に耽溺しやがて家から去っていった。
母は前田が8歳の時に亡くなった。
そこで、彼は一人で生きてやるという精神が芽生え、ギター1つで夜の駅前に繰り出し、路上ライブを行って収入を得るようになった。
このような経験から、
どんな彼は環境に関わらず努力次第では、誰だって輝けるような社会を作るんだ!
というビジョンを持つようになる。
そこで生まれたのが、SHOWROOMである。
SHOWROOMとは、ライブの配信者とそれを視聴する両者がいてライブ空間が成り立っているプラットフォームだ。
主に、アイドルがファンのためにリクエストに答えて頑張っている姿をアピールする。
それに共感した視聴者はギフティングという贈り物を配信者に送る。ギフティングは全体に歌詞化されて表示されるため、自己顕示欲を満たすことができる点で面白い仕組みだと思う。
彼によると、
これからの時代は、このようなライブストリーミング全盛期が訪れるという。その潮流に伴い、これまでのiPhoneのようなデバイスも生まれることは火を見るより明らかだ。
そのビッグウェーブを彼は逃さない。
しっかりと事象を捉え、仮説検証し、トライ&エラーを繰り返しながら実行段階に移していくのだろう。
彼の夢は、日本発で世界一の企業を作ることだ。それは傍から見ると、無謀で途方もない夢に思えるかもしれない。
しかし、彼はいつも逆境の中から答えを導き出してきた。
きっと、
彼の頭には緻密かつダイナミックな「人生の勝算」があるのだろう。
「読書という荒野」見城徹
なぜ、あなたは「読書」をするのだろうか?
と目的を問われると非常に困惑する。
なぜなら読書は、
私の血であり肉であり、人生と切り離すことの出来ない産物であるからだ。
文字を追って追って漸く「読了」した!と妙な悦に入る私なぞ足元にも及ばない。
彼は所謂、「普通の人生」を嫌う。
彼の好むは「極端な人生」だ。
我々人類は、
生まれた瞬間「死」への一方通行を余儀なくされる。死に比べたら、途中の辛苦など「かすり傷」に過ぎない。
ならば、リスクを取らない安穏とした人生を送るより、危険に満ちた通過地点を通ろうではないか。そして、最後に微笑して「いい人生だった」と言える以上の幸福はないだろう。
彼はかねがね
「自己検証」「自己嫌悪」「自己否定」
の3つがなければ、人間は進歩しない。
と言っている。
そして進歩の先に待っているのは、
「自己肯定」だ。
それは自らの承認以外の何者でもない。
況や、人は死ぬその瞬間まで自分を認めてはいけないのかもしれない。
なぜなら、
認めた瞬間に進歩は止まってしまうためだ。
そういった観念は、
想像を絶するような光景に、目を見開くような「原体験」を経て得られるもの。
しかし、当たり前のことだが、一人の人生にはリミットが定められており、限られた時間に幾つもの原体験をすることは不可能だ。
そのための「読書」である。
彼は、
幼少期の不遇な時代も、
読書という名の血で血を洗う高野を突き進んできたのだ。
読書によって
他者への想像力や生きるための教養を磨き、まずは「認識者」になる。つまり、世の中の事象と原理を理解する。
その上で、覚悟を決めて「実践者」になる。
一旦、実践者になれば暗闇の中でジャンプし、圧倒的努力を以て、目の前の原理を生きるのみだ。
生きていくということは、
矛盾や葛藤を抱えて、それをどうにかしてねじ伏せるということだ。
そんな時に、
読書は常にあなたの最強の武器になるだろう。
我々は、
何気ない言葉で人を傷つけることができるし、
人を癒すこともできる。
それくらい「言葉の力」は計り知れないものなのだ。
さぁ、今こそ読書を経て、
血で血を洗う荒野へと自分の背中を押してくれる「言葉」に出会おう。
「働く力を君に」鈴木敏文
この本では、日本の流通業界を変革し続けるセブン&アイグループ総帥・鈴木敏文氏が、長い間実践してきた仕事の仕方を、順に示している。
彼の信条は一味で、常に透徹している。
それは、
《自分の頭で考え、仮説を立て、答えを導いていく。その際、変わらない視点を持ち続け、物事の本質を見抜き、できるだけ難しく考えずに単純明快に発想し、迷わず決断し、実行していく。》
ということ。
この仕事の仕方は、二十代の若手社員から、三十〜四十代の管理職、さらに経営幹部や経営トップに至るまで、誰もが実践すべき本来的な仕事のあり方ではないだろうか?
思えば
セブン&アイグループは創業期から、アメリカに渡って、日本ではまだ未開拓の分野であった流通業のモデルをいち早く取り入れたり、近年は、「セブン銀行」というコンビニに常設した手数料のみを収益とした新たなビジネスモデルを展開した。
このようなセブン&アイグループの、先見性を持ったチャレンジングな姿勢には、そのまま鈴木氏のお客様のニーズが多様化しつつある中で、「変革し続けなければ我々に成長はない」という思想が溢れ出ているように思う。
この本を読んで
「働く力」
また、そのプロセスで養うべき鈴木流の
「仮説力」「ブレない視点」「シンプル思考」「伝え方」「生き方」
等の技術を盗み取ってほしい。